私見:恋愛定義。

恋煩い絶好調です、きもい自分を見るのにも慣れました、こんにちは、kouです。

さて今日は誰に聞かれたわけじゃないけど書きたくなった「私見:恋愛定義」をば。

はい、恋愛定義っす。

恋愛って色んな定義がされてますよね。
どこからが「恋人」としての境界線なのか。

セックスしたらそうなのか。
性愛のコミュニケーションに分類されることをすればそうなのか。
二人の秘密を持つことがそうなのか。

千差万別、人それぞれですよね。

だとしたら私が恋愛を定義するならば、

【愛することを許可しあう】

ことだと思いやす。

世間で言われてる、

「愛に見返りを求めてはならない」
「愛は求めるものではなくて、与えたり、感じ取ったりするもの」

って阿呆かと。

例えばいきなり知り合い程度の人間から高価な贈り物されたことを想像してみると分かるかも。

引くでしょう。普通。

これで「見返りの求めない愛のカタチ」だって言われてもねぇ…
きついって。そんな好意は返せないし、返したくないもの。

それでも「高価な贈り物を送る」という「好意」に対してリアクションを取らなければならない。

これ凄いストレスですよ。
知らないフリをするってことも一つのリアクションだしね。

愛し合うことを許可するってのは、こういった「高価な贈り物」に代表される『日常生活ではありえないほどの好意を与えることを許可される』ってことだと思うのです。

だとしたら、報われない、見返りを期待しない恋をする時は?
答えは簡単。

【相手がストレスに感じない程度の小さい好意だけを与える】

ってことです。

相手にあいさつする、その人の仕事やサークル活動をさりげに手伝う、言葉でほめるとかね。

日常の行為だと思うでしょ?

でもこれを恋する相手だけに「意識」して「小さい好意」をやり続けるって結構大変ですぜ?

なんせ恋愛は好意が蓄積された結果なんかじゃないんですから。

報われない未来に絶望するわけではなく、卑屈になるわけではなく、前向きに現状肯定しながら、恋する相手に「小さい好意」を与え続けるのも私的には楽しいかなと。

愛し合うことを許可されないなら、「許可されるレベル」の好意で接すればいいんです。

小さい優しさと大きな勘違いで恋する日々は楽しくなるものですぜと。

恋する感情のお味はいかが?

更新が久しぶりすぎて泣けてきました、こんにちは、kouです。

ま、あれです。恋ですよ、恋。恋煩いってやつですよ。

気がつかない部分から色んな感情が掘り起こされるのはたまりませんな、全く。気持ちいいね、うん。

耐え忍ぶ感情も相手にされてないように感じる焦燥感も言葉を必要以上に選ぶことに対する疲れもずいぶん久しぶりで楽しかったり。

何がしたいかって?何がしたいんでしょう、私。

願わくば私が疲れ果てて、自分勝手に白旗を上げてしまうまで、相手が環境的、経済的問題(引越しとかのどうしようもない理由とかね)でどこかにいかないで欲しいなと。

うん、きめえな、自分。

当事者にならなければ事態の解決など出来るものか。

存外短気な性格なもので、最近興奮することが多くなってきました。

というわけで鼻血が止まりません、ヘルプミー、こんにちは、kouです。

さて本日のお題は「当事者意識」について。

仕事やら部活やらサークルやら、「集団」の活動を行うに当たって問題がないところってのはほとんどないんではないでしょうか。

売上を上げるため、より上位に食い込むためなどなど。

逆に問題がない状態は、「何もしていないこと」の証明でもあるわけで、問題があることが悪いわけではないんですけどね。

ただ集団の中にね、「問題に対する当事者意識」がない人がいるのはこれはもうクリティカルな問題なのですよ。

そりゃ、空気を読んで「大変だ〜」とかいいますよ、そいつらは。

ただね、そいつらは当事者じゃないって思ってるから、ただ「悩んで」いるだけで問題解決するために「考え」てはないんですよ。

『きっと誰かがいい案で解決してくれる』

ってね。どっかでそう思ってる。

個人の問題ならともかく、『集団』の問題において構成員が「何も出来ない」ってことがそうそうあるわけないんですよ。「何も出来ない」って思うのなら「何が出来るのか」ってのを考えるべきで。

変な例え話になるけどさ、「戦争を泥沼化させる」最大の要因は、

当事者意識のない民衆

なんですよね。前線の兵士は当事者としてこれ以上の戦線の維持が出来ないってことは充分分かってても、前線に立たない民衆は不利な和平をする位なら一発逆転狙いの人気取り政治家に任せようってしてしまって、結局戦線は泥沼化。

大抵の民主主義国家がこの手の自滅をしてるのを見ると、戦争での一番の加害者は「当事者意識のない民衆」なのかなと思ったり。

問題を解決するのはいつだって「当事者」だってことを忘れないようにしたいっす。