覚悟は『今』決めるもの。

本日は自分の決意が鈍らぬ内に文章化した駄文っす。
公開したからには覚悟を決めんとね。
意味不明ですみませぬ。

続きを読む »

今日の飛び込み営業のキミに告ぐ。

今日も今日とて飛び込み営業たちは街を走る。
今日はいきなり朝一でウチの会社に飛び込みやがった営業がいる。
パスカードという有料のクーポンを買ってくれとのこと。
朝一に飛び込みをかますとはいい度胸だ。無知って凄いね、ママン。

そのあまりの無知・無礼っぷりが逆に気になったので少しだけ話を聞くことに。あぁ、とことん変人だ…私。

んでシステムを聞くと、どうやらクライアントから広告料をもらわない代わりにクーポンの割引額を上げて貰い、そのクーポンを客に買ってもらって、その営業がそのクーポンの収益を得るというものらしい。

その営業曰く、クライアントは広告料を出さずに宣伝が出来るし、利用者は大きなクーポンの利益を受けることが出来る、win=winな関係なんですと。

ふ〜ん、だから?そのシステムってさ、あんたら営業の犠牲を前提としたシステムだよ?分かってない?分かってないからやってるんでしょうね。気になったから少し調べてみたよ。

結論、

完璧マルチじゃねえか!!

ただこのマルチが他と違うのは客が搾取されるんじゃなくて営業が搾取されてるってこと。求人雑誌には正社員募集で掲載してたけどその無知な営業クンの話を聞くといずれ独立するために身分は『自営業』だそうな。給料は売れた分だけの完全歩合とのこと。熱く夢を語ってるところ申し訳ないけど、騙されてる、騙されてるよ、キミ!!

営業が自営業扱いなら法的には雇用主が存在しないことになり、その営業を抱える会社は保険を加入させる必要はないし何時間でもただ働きさせてもかまわないってことだよ?

営業がせっせと稼いできたお金を搾取する経営者、保険をかける必要はないわ、何時間ただ働きさせてもかまわないわ、きっと笑いが止まらないんでしょうね。んできっと「いつか自分のような勝ち組に!」とか言って煽ってるんでしょ。気持ちわる。

ただ正直搾取されてる側の営業には同情できんのよ。少し考えたら明らかにおかしいシステムを妄信してるのですから。カルト宗教に傾倒する信者に同情できないのと同じ。

少しそういうシステムの粗を指摘したら、

『俺は(←この一人称もどうかと思うが)このシステムを信じてますから!』

だと。ホントそっくりだよ、宗教の信者の言い分と。

飛び込み営業の君、悲しいけど私には貴方を救えません。
だけど早くまっとうな道に戻ることを願ってやみません。

さて昼休みも終わりだ、仕事、仕事っと。

休み。

今日の更新は療養のため休みです。

努力に対して社会的対価を求める心は不毛。

って言っても努力したら相応の社会的対価は欲しいっす。

努力した分だけ認められたいです。
努力した分だけ成長したいです。

昔家庭教師をしてた頃に生徒が言ってた言葉です。
勉強に対する姿勢は真摯で常に予習・復習をかかさない努力の生徒だったことは覚えています。
しかしお世辞にも出来がいい生徒ではありませんでした。

努力は何故報われないのか。

当時の大学生だった私にはこの彼女の問いに明確な答えを返すことが出来ませんでした。それは私も同じ事を考えていたから。

その時に私のバイブル「ジョジョの奇妙な冒険 第5部」でこのような台詞があって人生観が変わりました。

引用開始…

そうだな・・・
わたしは「結果」だけを求めてはいない

「結果」だけを求めていると人は近道をしたがるものだ・・・・・・
近道した時真実を見失うかもしれない

やる気もしだいに失せていく

大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている

向かおうとする意志さえあればたとえ今回は犯人が逃げたとしても
いつかはたどり着くだろう?

向かっているわけだからな・・・・・・
違うかい?


…引用終了。

努力に「終わり」なんてありません。「結果」が出てもそれが「終わり」ではありません。今度同じ質問を聞かれたらこう答えようと思います。

努力は必ず報われる、「意志」を持ち続ける限り。

チラシの裏。

芝居が見たい。
映画が見たい。
本を読みたい。
脳が熱を出す位数学の勉強をしたい。

とりあえず今の希望はこんなものか。

今の仕事の山を乗り切ったら温泉宿に予約を入れて一週間位かけてインプットをしまくってやる。アウトプット(出力)ばかりの生活はどこかで行き詰まりますな。

今日は寝ます。明日も仕事だ、仕事。おういえ。

猿なのはわかる。だが隠せ。

古今東西、若いオトコとオンナが集まれば下半身の話題ばかりになるのは理解できます。なんせしたい・やりたい盛りなんですからまぁ、しょうがない。お猿さんのように性欲を発露するのもある意味若さの証明だと思うので別に眉をしかめるようなことはありません。

ただ人間は社会性を持つ動物なのだから欲求は隠せと。
欲求をコントロールすることを覚えることは若い間にしか学べないよ。
年を重ねてからでは遅いんですから。
大人になって欲求がコントロールできない人間は恐ろしい位のしっぺ返しを受けるんですって。それはもう間違いなく。

少女コミックの性描写がひどいという話題を大分前に出しましたが、今だに特集で「えっち」だの「初Hははやめに」だの頭痛が悪化しそうなものばっかです。頭の弱いお猿さん育成装置ですか?この手の雑誌は。

中高生向けのファッション誌でもやたら性の話題ばかり。性行為のハウツー本かと見紛うものまで見受けられるのを見ると本気で心配になるのですが。

男性器をどう口に含むかなんざ知ってどうすんだ、馬鹿者どもめ。

年々説教くさくなる自分がやだやだ。もしリアルタイムにこんなアホ雑誌読んでたら…なんて考えると寒気がしますね。くわばらくわばら。

思考中。

体調がまた急激に悪化。鼻血が止まりません。
というわけでアゲイン、点滴。ヘロー、ドクター。

診察待ちであまりにヒマだったんで友達と電話で時間を潰す。
仕事?何それ?食べれるの?
その会話の中で気になることが一つ。

とあるデザイン事務所に勤めるその友達曰く、

『地方都市にはその場しのぎの戦術レベルの経営者ばかりで戦略レベルの経営者がいない』

というわけ。思わずなるほどと。体調が悪いにも関わらず考えさせられましたね。ちゃんと理由があるのよ、これには。

なぜ地方都市では戦略レベルの経営者が育たないのか?長くなるのでまとまったら後日アップしまする。

期待せずに待ってくださいませ。

携帯電話の広告って…

あまりに都合のいい情報だけを垂れ流しにしてますね。
長期契約とか初見では全く意味の分からない割引プランとか。

ソフトバンクは特にひどい。
「2880円で音声定額」というゴールドプラン、よく見てみたら最低限必要な料金がかなり違うんですよね。

実際に月2880円なのは契約当初の数ヶ月のみ、契約から5ヶ月目以降は5220円ですぜ。

新手の詐欺ですか?これ。
ある意味騙す気がまんまんなのがよく分かるので笑えるが。
消費者金融並の広告の悪質さに開いた口が塞がらんぞ、わたしゃ。

どうでもいいけどこんな分かりにくい騙す気まんまんのプランを客に勧めなくちゃならんショップのおねーちゃんは大変でしょうね。

テレビはいつから芸能人の駄弁り場になったんだ?

芸能人がクイズに答えて金や商品を手に入れる番組と芸能人が物食いながら適当に駄弁ってる番組ばかりのテレビ界。楽しいか?それ。

そしてお笑い芸人の内輪ネタばかりに頼った番組作りしか出来ない無能製作者。

『自分達が楽しんでるところを見てお前らも楽しめ』

という製作者の思い上がりが透けて見えるようで最近テレビを全然見てません。内輪ノリで数字を稼ごうなんて手抜きもいいところだ。視聴者をバカにすんな、バカヤロウめ。

というわけで我が家のテレビはPS2のモニター以外の役割を果たしていませんw

『娯楽』はいつもその製作者から与えられる一方的なもので『情報』が持つ双方向性とは真逆のベクトルを持ってるのですからつまらない内輪ノリを一方的に押し付けたらそりゃ視聴者は逃げますぜ。

内輪ノリは『娯楽』じゃないよ。

こんな当たり前のこと位制作側は知ってると信じたいんですけどね。

タウン情報まつやま11月号雑感。

タウン情報まつやま11月号をkomachiと一緒に購入。
発売日が重なってくれるお陰で私のような同時購入者にとってはありがたい限り。
さて、今月のタウン情報まつやまを一言で表すとするなら、

腐っても鯛

ですね。最近のクオリティのあまりにあんまりな劣化ぶりに正直定期購読を辞めようかと思ってたんですが、今月号の内容の充実は久しぶりにいい意味でタウン情報まつやまらしさの出たものでした。

例え人が大幅に入れ替わろうと最低限のクオリティをクリアしてきて、時折今月号のような逸品を出してくるのは流石としか言い様がありません。伊達に『地域で一番読まれてる』と謳うだけはあります。

広告出稿量も先月に比べて多くなってることや毎年恒例の別冊「忘・新年会BOOK」の内容を見る限り、営業が獅子奮迅の活躍をしたであろうことが誌面からぎゅんぎゅんに伝わってきましたね。今回の殊勲賞は営業だと勝手に思ったり。

それに引き換え、編集は…正直なところ、誤植が普通に散見される時点で何をやってるんだと。校正もロクに出来てないんじゃないの?

やはり誌面から伝わるのは前線で奮戦する歴戦練磨の営業を新兵ばかりの編集が足を引っ張ってる構図ですな。素人の予想ですけど編集力が上がれば往時のタウン情報まつやまの勢いが戻るのではないでしょうか。

まぁ、人の入れ替わりが激しすぎるので期待は出来ませんけどね。

追記…『人間使い捨て』と県内で揶揄されるSPCの経営方針ですが、中に居る人が誰であってもある程度のクオリティを維持できるシステムを作ってるという意味では会社としては素晴らしい。激務で消費し尽された人材の死屍累々の山を築き上げて利益を出すような真似は普通の神経では出来ません。素直に感服いたします。

宗教と思考の相反関係

ちょっと前に前任者、ヨハネパウロ2世に代わって新ローマ法王になった、ベネディクト16世。
5c9c7b8576fc15eee8df2a39c22d4f2f.jpg

教皇になった直後から色んなトコロで、
『この顔は中世で異教徒を弾圧しまくってる顔だ。』
とか
『ここまで悪党ツラだと何も考えて無くても誤解されそうだ。』
とか散々な言われ方をされてきたベネディクト16世。

その後、『イスラム教徒は邪悪だ』とか失言をかまして前任者の融和路線をいきなり白紙状態にしたのである意味予想通りの展開にw
宗教戦争でもしたいんかい、あんたは。
でも噂によるとバチカン体制の中心に近いキリスト教原理主義者は大喜びらしいです。そりゃ、世が世なら第何次かの十字軍を作ってでもイスラム教徒をこの世の中からチリ一つなく消し去りたいと考えてもおかしくない原理主義者からすれば前任者の融和路線でたまったフラストレーションの分、原理主義に近い教皇の存在は大きいですって。ここで一発、
『いいプロテスタントは死んだプロテスタントだけだ』
なんて言い出したら原理主義者の人(カトリック)は喜びのあまりイギリスに侵攻作戦でも立てかねない…なんて妄想も冗談に見えないのが怖いぜ。

私は宗教は否定しませんが原理主義はキリスト・イスラム関係なく存在価値がないと思ってて。原理主義ってのは端的に言うと、
『自分の思考を一切放棄して神の言葉を盲信する』ことなんだよね。全く柔軟性の欠片もない考え方だから、『自分の神を信じないやつは滅ぼす』という短絡的な結論に陥ってしまってるのよ。

でも、でもさ、人間が人間足る理由は『思考をやめないこと』だと思うのよ。じゃあ、思考を放棄した原理主義者は人間の条件を満たしてないのかという結論に至ってしまうわけで。確かに思考をし続けることは体力・気力を消費し続ける大変な行為だから時には思考を休止する選択も必要なのも分かりますが、原理主義者のような人生全体を思考停止するという発想は正直人間としての『思考の義務』を放棄していると判断されたってしょうがないと思うのです。
宗教と思考は相反関係にあるんでしょうか?
進化論に対していきなり聞こえないふりして思考停止する原理主義者を見るとそう思えてしょうがないのですが。

無謀と無茶と無知な行為。

というわけでダウン翌日にアルコールを痛飲するという命知らずな真似を仕出かして今キーボードの前で後悔中のkouです。

しかしストレス解消とコミュニケーションを取るために誘ってくれた飲み会の途中で考えていたことが、

『ストレス遺伝子、zif268はたとえアルコールで前後不覚になるまで痛飲したとしても脳や体のストレスをコントロールする視床下部で活動しつづけおり、体のレベルではちっともストレスの発散になっていないんだよ!!』

素直に楽しめよ、私。

この前とある人に、
『いっつもヘンなことを小難しく考えて人生楽しいの?』
と言われました。余計なお世話だ、しかしその通りだ、バカやろう。

ついに…

体調不良が極地に達してダウン。
ヘロー救急隊員。ウェルカム点滴。
…ただの過労だったようで一安心。昨日の夜釣りがまずかったか??

というわけで皆様、いつまでも若さはないということを身を持って証明したということを謹んでご報告させて頂きますw

しかし仕事は止まらない…なんだこの罰ゲーム。

夜釣りに出かけてみた。

というわけで今日の釣果。
272.jpg

太刀魚一匹なり。

ちなみに場所は北条の鹿島です。
疲れたので今日はこれだけで。
それではまた明日。

物事を「理解」することはただ知るだけでは足りない。

檻の反対側から珍獣を眺めているだけではその珍獣の名は分かっても「理解」したというには足りない。
檻の中に入って生態を共にしてこそ分かることがある。

「知識」をネットで気軽に拾っただけで「理解」した気になっていないか?時々そんな自問自答をしてみたり。

ネットの普及は莫大な知識をもたらしてくれたけど、その莫大すぎる知識量の増加によって私の中の「知識」と「経験」のバランスが一気に崩れて物事を「理解」することがより難しくなった気がする。

百聞は一見にしかず。

知りたい物事の知識は手に入った、足りないものは「経験」を得るために現在位置とは違う環境に飛び込む勇気だ。しかしネットで得た知識に見合う経験を得るには並大抵の勇気じゃ足りないのがネックですな。

どんだけ勇気がいるんだ、職場引きこもりの私の場合w

人間の成長について。

今日の話はいつにも増してどうでもいいことなのでスルー推奨。

続きを読む »

月刊フリーペーパーマガジンbit10月号”満ちる”雑感。

もうクーポン辞めた方がいいんじゃない?

と声をかけたくなる位に急激に数が減ってきてるbitのクーポン。
クーポン以外の広告出稿量が劇的に増えているようでもないし、下種の勘ぐりなのは自覚してますがホントに経営大丈夫?って思ってしまいます。なんか媒体としての方向性も読者から見ても迷走気味ですし。

テレビや大街道のイベントをちょくちょくしてるみたいですけど、私からしてみればその予算をなんで誌面のクオリティアップに使わないのか疑問ですね。雑誌という紙媒体とテレビという媒体の親和性は高くないこと位分かってると思うのですが。経営が傾くとテレビ出稿が増えるという企業法則がここでも発動してるのか?

新刊が発行されても更新しない編集部ブログ、いつまでたっても工事中のウェブサイト…お金がいっぱいかかるテレビにお熱をあげるよりマンパワーをちょっと投入するだけで出来ることがいっぱいあるのにね。

費用対効果という面から言えばウェブサイトというものは相当高いものですよって。それにしても私は毎日bit編集日記を見てるんですがその更新されなさ具合はもう既に芸術的ともいえます(笑)

9月・10月の更新数、それぞれ僅か1件!

ブログの意味まったくNEEEEEEEE!
しかも企業のクセにドメイン取らずに無料レンタルブログ使ってるし。

どうやらbitの方針はウェブ軽視ということらしいっす。ならいっそクーポンごとウェブも辞めたらいかが?そうすれば情報発信に対するやる気のなさが少しは隠せるかもしれませんぜ。

固有名詞「フリーペーパー bit」で検索かけても上位表示されない時点でやる気のなさが分かってしまうから尚更ブログの閉鎖を本気で考えた方がいいかもよ。

参考…bit編集日記

修羅場で必要なのは正しさではなく「速さ」

結論は題名が全てなんですけどね。

例えば仕事のプロジェクトや何かしらの集団で一つの事を進めてると多かれ少なかれ修羅場があるもので。
主導者の手腕がその時試されるわけですが「正しさ」にこだわるあまり決断の遅い人いますよね。余裕がある時ならまだしも修羅場に「正しさ」なんて役に立ちませんって。話し合いだとか皆の意見を取り入れるとか、そんなのプロジェクトを立ち上げる前にすることで進行中、ましてや修羅場でそんなことされても困るわけ。

必要なのは決断の「速さ」、行動の「速さ」、修羅場というものはプロジェクトが停滞してるってことなんですから一歩でも動かすことが第一義であってそれは「速さ」でしか乗り切れないと思うのですよ。

選択肢を選ぶ時間さえ惜しい、もしくは猶予がないのなら突貫でもなんでも「速さ」でものを言わせて乗り切るしかない。それを後で下手くそなやり方だ、効率の悪いやり方だ、と非難するのは容易い。でも「速さ」という点を考慮せずして一方的にダメだしするのはいかがなものか。

そんなことを思う修羅場から程遠い職場で働く今日この頃。

少しは疑いましょうよ。

時々仕事で企業の経営者の方とお話させて頂くことがあるんですがそこで気がついたことが一つ。
何で愛媛県の企業経営者の方で船井幸雄、船井総合研究所の言う事をありがたがる人が多いんでしょ?
ヤツは『人類は月に行ってない!』とか『波動がうんたら、宇宙意識がうんたら』とか平気な顔でいう電波人間ですぜ。
ちょっと自分の頭で考えたらおかしいのに信仰している経営者の多いこと、多いこと。船井さんの言う事より自分達が経営してきた経験の方がよっぽど「使える」財産なのだから自信を持ってくださいよと。

もう一つ考えられるのが船井さんの考え方を利用しているというパターン。船井さんの考えの基本がやたら「プラス思考」を謳ってるので会社員を兵隊として使う場合、仕事への疑問や予想し得るリスク回避のための慎重な姿勢を取る社員の考えを全て「マイナス思考」の一言で否定するために船井さんの考えを使ってるのだとしたらある意味尊敬する。

まぁ、どっちだったとしても電波人間船井幸雄の言葉を経営者が自分のハク付けのために使ってるのを見ると苦笑してしまうのですよ。上がこんなだと下の人間も大変なんでしょね。

劇団ヴォイスさんに聞きたい、公演告知に「批判する人は来るな」とは何様のおつもりですか?

昨日の怒りの理由は劇団ヴォイスさんの次回公演のwebページを見たことが原因です。私が気になったのはこの一文。

引用開始…
ご注意
この公演は、大変お客様と近い為、
友好的な場の空気が優先されますので、
私たちに批判的な方の入場はご遠慮いただきます。批判的な方々は、ぜひ2007年11月の本公演
「流竄の御子」にお越し下さい。
…引用終了。

まぁ、「私たちに批判的な方」の定義を教えてくださらないかしら。今まで私は『自分が面白いと信じた表現ならばどんな批評、批判を受け入れる』のが表現者の覚悟だと信じてましたが勘違いだったのかしらね。うん、今から予想できるよ、ほぼ間違いなく、

出演者の知人・友人、演劇関係者が客席の9割を占める発表会

になるね。私みたいな演劇関係に知人もいない、芝居を見るだけの観客が例えば劇団ヴォイスの芝居を「面白くない」と言えば、「私たちに批判的な方」の仲間入りというわけですか?もしそうだとしたら観客を軽く見すぎてませんか?自分達を誉めそやしてくれる人間とだけ付き合ってればいいとでも?もうそれは演劇公演ではなくてただの自己満足のぬるま湯発表会です。

自己満足のぬるま湯発表会、まるでmixiのような上っ面だけで褒めあうような演劇は嫌いですがそういうスタイルの劇団の存在価値が全くないとまでは思いません。せいぜい学生の文化祭のように自己満足の充足感を味わってればいいと思います。周りに迷惑をかけない範囲でね。

でもこの劇団ヴォイス、平成17年度文化活動活性化支援事業の助成金に申請を出して助成金を貰ってるんですよ。この助成金は個別の公演に対し支給されるもので次回公演に直接関係するものではありません。でも、でもね、助成金の援助を受けたことがあるという事実は、

自分達の演劇表現を県民に広く公開する義務を背負う

ことを意味すると私は思うのですが。
そんなに予定調和な身内の発表会がしたいなら「公演」と銘打たず密かに知人・友人・関係者に対して打診してすればいいのに。それなら予定外の批判をするかもしれない観客は来ないのにね。わざわざ「次回公演」としてHPで告知するその神経を疑います。

何も知らない観客は来るなというメッセージにしか私には受け取れませんでした。できればそうであって欲しくないので反論があると嬉しいのですが。「私たちに批判的な方」の定義も一緒にね。

怒りが収まるまで。

松山市のとある劇団の次回公演の告知を見て、失望と怒りと呆れが同時多発しているkouです。
あまりの衝撃ぶりに体調の悪さを忘れてしまったよ、わたしゃ。
怒りに任せて文章を書きそうなので一晩寝て怒りを落ち着けてから書こうかと。
ラムズフェルド国務長官も言うように「まず怒れ、そしてその怒りをコントロールせよ」ということで怒りをコントロールするまでしばしお待ちをば。

次回予告…観客を選別できるほど偉いのか、貴方達は。

多分長文になる予定。

脳休めの時間。その2

一度崩れた体調が治りにくいのはトシのせいか、せいなのか。
トイレと洗面台が私の職場!今日もリビングデッド(生ける屍)状態の私kouでございます。きっと今の状態ならジョージ・A・ロメロ(ゾンビの監督)に熱烈ラブコールを受けてハリウッドデビュー間違いなしだぜ、おぅいえ。

目つきもギラギラしすぎて挨拶した小学生に避けられちまったよ…助けてママン。冗談抜きで通報されたらどないしよかね…教えてパパン。

世の中に蔓延する潜在的悪意に対抗すべく、職場と家にひきこもる私の未来はどっちだ!?

脳が煮えてきたので今日はこの辺でお開き。
明日は通常更新できるといいなぁ…

愛媛大学演劇研究会アトリエ公演「ワスレナグサ〜封印された台本〜」雑感

体調が更に悪化…洗面台とトイレが今日一日の恋人でした。
さて今日は昨日みた愛媛大学演劇研究会の公演の感想をば。
254.jpg

↑半券と当日パンフレット。

この公演ね…うん、なんというかね。結論だけ言うと、

前説だけ見れば充分

な公演でした。何?松山大学演劇部の新人公演の時もそうだったんですけど「前説だけはしっかり作りこむ」というのが流行ってるんでしょかね?前説のクオリティの半分でも芝居に持ってきたらいいのに…と思うことしきり。

後個人的に勝手に同情したのが照明担当の方ですね。場面転換を照明だけに頼る素人演出のせいで照明の球の寿命を縮めまくってるのを見ると同情を禁じえませんでした。影の殊勲賞は照明スタッフだと思ったり。

この芝居を見て一番疑問なのが、
「本当に演劇部の人達はこの台本を面白いと思ってやってるの?」
ってこと。元台本をググって全部読んでみたけど後半の説明台詞の連発、破錠しまくってる構成、必然性の欠片もないキャラ設定などなど、読んだ時「どこの痛い中学生の作文だよ…」と思いましたよ。はっきり言うと台本の体裁すら保ててないような駄作ですよ。これ。

演劇部の皆様、「本当に面白いって思ってます?」

こんな駄作を使う位だったらまだ自分達のオリジナル書いて公演した方が出来うんぬんよりもその表現姿勢に共感できたのに。無料脚本サービスの駄作使って観客から金を取る姿勢ってどうなのよ、それ。身内限定の「発表会」ならまだしも観客から金を取る「公演」の形態を取るのなら「学生だから」という言い訳はできないと思うのですよ。

なんとかの一つ覚えのように暗転とピンスポットを乱用する演出、会話の出来てない・発声が出来てない・がなるだけが感情表現の手段がない役者陣などなど、こんな問題なんざ大した問題じゃないし、そもそも「新人公演」と聞いた時点でそんな些細な技量なんて期待してないっての。私が見たいのは、

表現にかける熱い姿勢なんだよ!

それだけで私の心は満たされるのに。ヘンに小奇麗にまとめようとすんなっての。よく出来た借り物よりも荒削りなオリジナルが見たいです。

追記…劇場スタッフ(客席案内及び運営)の質の悪さには衝撃を受けました。
色んな芝居を見てきたつもりですけど初めて見ちゃいましたよ。

長机の上に座った状態で退場した客に挨拶するスタッフを。

もうなんというか挨拶の仕方から勉強してください、マジで。後揺れ易い平台で組んだ客席を走り回るスタッフや公演中外でガタガタ音を立てたりするスタッフなどとてもじゃないですけど観客のことを考えてるとは全く思えない対応にある意味感動しちゃいました。

観客を意識しない演劇は「公演」じゃありませんよと。

参考リンク…脚本ダウンロードサービス「ワスレナグサ〜封印された台本〜」

KG情報VSリクルート、戦いの行方は如何に?

体調が壮絶に悪化。久しぶりに食べ物がのどを通らない夜を経験しましたぜ。こういう時に一人身の寂しさを強く感じますね。

ふん!一人身だからって寂しくなんかないもん!(流行のツンデレを導入。)

というわけでほうほうの体で松山に戻りました!とりあえず愛媛大学演劇部さんの公演を見たら泥のように寝る予定。

帰って新聞を見てみると、まつりの喧嘩みこしで死人が出ててかんりショックを受けました…せっかくの祭りで死んでどうするんだよ…合掌。けが人も続出してるみたいですが生きて元気に楽しんでなんぼの祭りでしょう?来年の課題として当事者の方々には猛省をしていただきたい!

昨日の短時間の香川滞在の間、ふらふらとテレビを見てみるとリクルートが求人雑誌「タウンワーク」の事業を大幅に拡大しようとしてるみたいですね。その事業拡大地域は、

岡山・香川

です。これよく覚えてくださいね。

リクルートとKG情報の間にはクーポン雑誌「ホットペッパー」と「INO」を見て分かるように少なからぬ因縁が存在すると聞いたことがあります。まぁ、INOのあまりにあんまりなホットペッパーのパクリっぷりを見ればリクルート側の気持ちも分からないでもなかったりw

んで今回のリクルートの求人媒体事業拡大はKG情報に対する反攻作戦の始まりだと思うのですよ。

その根拠としてリクルートの行動がKG情報の本社及び事業地域である「岡山・香川」であることとKG情報の主幹事業の一つである求人事業に対し、正面から求人事業の拡大を図ってることの2つが挙げられます。

どこまでも推論にしか過ぎませんが、松山でもリクルートが求人雑誌「タウンワーク」の発刊を計画しているというウワサが消えていないことから見てもリクルートとKG情報の正面対決は避けられそうにはないように思えるのです。

まともにやれば資本力の差でリクルートの圧勝でしょうが、KG情報がダンピングに近い広告料金設定戦略をとった場合、結構いい勝負になるんじゃないかと私は見ています。

料金の差だけで勢力が拮抗してますもの、松山のホットペッパーとINOは。

正直言えば他の場所でやれと。結局この手の正面対決は周囲のクライアントであったり、製作会社を巻き込むんで迷惑きわまりないですからね。くわばら、くわばら。

どっちも地域の資本を食いつぶすという意味では50歩100歩だねw



休日出勤1日目。

微妙に体調に違和感が…毎年のように「無理が効くライン」が確実に下がってるのを実感しますな。引きこもり体質故の貧弱な自分が憎いw

これから仕事で香川に行く予定。そして夜の内に松山に帰る…強行軍も大概にしてくれ。って予定をつめすぎた私が悪いのだが。反省。

と言うわけで今日は更新は休みます。明日以降は通常更新予定っす。

愛媛大学演劇部のチケット買ったんだから、なんとしても見に行く時間を作ってやる!それでは行ってきます!

残業してる間にふと思うこと。

祭りの音を職場で聞く、この寂しさったらありゃしない。
祭りがあれど仕事は止まらず…頑張れ、私。なくなれ、残業。

この仕事の進捗状況からして3連休は仕事で埋まりそうな悪い予感がギュンギュンにしますな。休日出勤だよ、おぅいえ。

日曜はどうにかこうにか時間を作って愛媛大学演劇部さんのアトリエ公演「ワスレナグサ〜封印された台本〜」を見に行く予定。

元気な若者が舞台に立つということはただそれだけでエンターテイメントだね。若さと熱さを分けてもらいたいぜ、全く。

閑話休題。

この間テクテク歩きながら思ったのが「つまらない芝居」を最大限に楽しむコツは「スタッフとして関わる」ことかもしれないってこと。

だって頑張ってる過程がもう既にドラマですもの。いっぱい共感しまくって、芝居を作ってる自分に酔いまくれば例えどんな「つまらない芝居」であっても「いい思い出」に脳内で自動変換してくれますからね。

観客があまりの出来の悪さにドン引きしてるのにカーテンコールで大泣きしてる役者とかスタッフとか見るとその効能が如何に凄まじいか実感しますよ、実際。

時間というコストを度外視したらこれ以上の楽しみ方はそうないんじゃないかな?私はそんな仲間内芝居が大嫌いなので絶対やりたくないがw

管理職につく人に演劇研修をさせてみればいんじゃない?

演劇における「リアル」とは何ですか?と昔とある演出家に聞いたことがあるのよね。その演出家曰く、

必然性だ

と。なるほどなぁ〜って思いました。

そもそも何もない「舞台」に全く別の空間を設定するわけだから出だしからもう「ウソ」なワケで。その「ウソ」を観客に対して「リアル」に感じてもらうためには役者の発する言葉、行動、設定、すべてにおいて「必然性」がなければいけないのよ。

例えば、「転校生の学級委員長」なんてありえないでしょ?

「必然性」がなければ「何もない舞台」という「ウソ」が一気にバレて観客を冷めさせてしまう。だから演劇には「必然性」が必要だと。

芝居は面白くないけど理論だけは立派な平田オリザさんの言葉によると、

私たちは、主体的に喋っていると同時に、環境によって喋らされている。
この「喋らされている私たち」をいかに表現するか。
そこに着目したのが、新しい演劇の流れの、大きな一つの特徴だろう。


だそうな。この「喋らされてる」環境の「必然性」をどう感じさせるかが演出家・劇作家の仕事だと冒頭の演出家の方は仰っておりました。

この必然性の概念とは集団の中に自然と発生する「空気、雰囲気」につながる考え方だと思うのですよ。よく現場を知らない管理職の方が空気を読まずにトンチンカンな提案とかしますけど、この「必然性」の概念を理解するだけでもかなり現場との会話がうまくいきそうな気がするんですけど、どうでしょ?企業の経営者の方々、管理職研修に演劇体験を入れてみては?

追記…即興劇(エチュードというらしい)の秘訣を聞いてみたところ、「相手の台詞を絶対否定しない」ことだそうな。もう聞かせてやりたいですな、ウチの役員たちにw

相手を叱ったり、相手の考えを否定してたら、その時点でコミュニケーションが止まるわけで。現場に対して共感を示したり、分かりやすいたとえ話をするとかして、初めて立場の違う人間同士が会話というものが出来るんですよ。
否定から入るコミュニケーションなんてありませんぜと。

命の値段。

命をお金で買うことは出来ませんが金に換算することは出来ます。
今日本で主流の命の換算式、ライプニッツ方式は

T = An / (1+ 0.05)n(乗)×r

T = 損害の現在価値、A = 年収 、年利率 = 0.05(民法404条)、n = 就労可能年数、r = (1 - 生活費率)あるいは労働能力喪失率

で表されます。
大体の一般的なサラリーマンの一生はこの式からだと約3億円弱に換算されることになります。宝くじの大当たり一回が一人の人生分の価値ということになりますね。

どうです?この数字は多いと思いますか?少ないと思いますか?

私の好きな漫画「ワールドイズマイン」の中で、

命は平等に価値が無い

という台詞と

命の価値は時価である

という2つの台詞があるんですけど「ただあるだけで」価値のある命はないんですよね。
何かしら社会に関わって他者から価値を見出してもらわないと命に価値が生まれないというのは人間という生物が望むと望まざる関係なく社会に関わり続けないといけない生物であるという証拠なんでしょね。

というわけで恋愛至上主義者がよく言う「絶対的に大切な人」なんていませんよと。「相対的に大切な人」であり続ける努力なしに他人に対して「絶対的評価」を期待しなさんな。

そういう押し付けを最近のmixiで感じたのでちょっと思ってみたり。
善意の押し付け合いなんざうっとおしいだけだっての。

会議は踊る〜生産性のない議論勝負〜

えてして日本人は「話し合い」が大好きだ。何を決めるにせよ、まず「話し合い」、それをしない人は「協調性の無い人」「ワンマン・独裁」などヒドイ扱われ方をされる。

ではその「話し合い」なんですけど、ほとんどの場合、

話し合ったと言う規定事実を作ることによって相互が納得する儀式

になってると思うのですよ。端的に言うと既に結論が出てるにも関わらず、わざわざ全員の意見を聞いたというポーズが取りたいためだけに行われる会議が多いってこと。

こんな非生産的なことやるだけ時間の無駄だと思うのですが。

そこで考えてみるとこの「話し合い」という儀式において私の体感的に、場を仕切る人が一方的にまくしたてて気分よくなるだけのパターンと誰も何も発言せずとりあえず既に決まってることの延長で議題を先延ばしにするパターンが多いような気がします。

たぶんこういったパターンの場合、会議という場の議論を勝ち負けという価値観で図っているので結局何も話し合いという互いの意見を組み合わせて昇華させるという目的を見失ってると思うのですよ。

同じ目的のために「話し合い」をしてるんでしょう?何理性を失って勝負に走ってるんだよって思うこともしばしば。

そして今日も生産性が全くない「話し合い」という社内政治力選手権が繰り広げられるのであった。ちゃんちゃん。

文化を育てることは表現者を甘やかすことじゃない〜ドコモスタジオ前のイベントに思う〜

昨日の松山大学演劇同好会「4名様より」を観た後、大街道にふらふらと出かけたのよ、私。特に何をするでもなくふらふ〜らしてたんですが大街道と銀天街の境近くのドコモスタジオの前になにやら人だかりが。

何やらイベントをしてるみたいでギターをもった青年がMCをしてる様子が見えたのよね。どんな曲してるんだろうって近づいてみて私びっくりしましたよ。曲の凄さに?ノン。パフォーマンスの凄さに?ノン。

ステージ裏で路上タバコをふかしまくってる連中(おそらく出演者もしくはその関係者)がいる

ってことにびっくりしたわ、私。いやびっくりしたというより呆れたと言うべきか。大街道での路上喫煙はだめなんじゃ…なんで黙認してるんですか?ドコモスタジオのイベント運営者は!

その若造どもが分かってないならちゃんと大人として注意しましょうよ。何?参加を依頼した立場だから注意できないのですか?バカじゃなかろか。まさかあの路上喫煙がかっこいいとでも?

どんな理由があるにせよ、マナー違反を黙認してるドコモスタジオのイベント運営者は最低です。

文化を育てる意味で表現する場を提供することは素晴らしいことです。しかし場のマナーに従えない人間を律することもまたその文化への余計な偏見をなくすという意味で必要なことだと思うのですが。

あれを見た人に「松山の音楽文化人はマナーが悪い」って思われたってしょうがないですよ。実際。

文化を育てるにはその土地の人間の理解が必要不可欠です。文化を理解するということは表現者を甘やかすことではないはずです。表現者に遠慮してマナー違反を咎められないなんて本末転倒もいい所。次のドコモスタジオのイベントではこういった光景を見ることなく素直にそのイベントを楽しみたいものです。

松山大学演劇同好会新人公演「4名様より」感想。

松山大学演劇同好会新人公演「4名様より」の昼の部(14:00)を観劇。
244.jpg
↑半券とパンフレット。

見も蓋もない結論。

前説が一番面白かった

逆を言うと本編がちょっと…ね。全体の時間は大体70分ちょいだったはずなのに凄く長く感じたのよ。端的に言うと退屈な芝居でした。
この「4名様より」という芝居、とある喫茶店という固定舞台上で会話を中心に話が構成されている三谷幸喜風の芝居なんですけど、大きな舞台転換や場面の変更がない分この手の芝居の出来は役者の技量に大きく依存しちゃうんですよね。

役者の技量の芝居における依存量が多いってことは実は凄く怖いことで。もうごまかしようがない、逃げようがない、演じる役者の持つ全てが舞台上に出てしまうってことなんですよ。

そういう意味では新人がやるにはちょっとキツイ。いきなり会話の妙だけで話を構成して魅力的にするなんて熟練の役者のレベルだと個人的には思いますぜ。

あとカルフールホールという立派過ぎる小屋も役者の魅力を殺してましたね。あまりに大きな空間なだけに声が分散するわ、役者が観客に向ける意識も散漫になるわとその立派さがマイナス要素に働いていたのが残念でした。

仮定の話になるけど集会所みたいな公民館クラスの小屋の大きさだったらまた違った感想になると思います。

蛇足…全体的にカミカミなのは新人公演だから仕方ないにしても話のクライマックスとカーテンコールで台詞が飛ぶのは…ちょっと頂けませんでした。